WinActorラウンジ2019レポート : 基調講演「世界の経営学から見る未来の企業の在り方」
入山 章栄氏プロフィール
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関へのコンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。
「知の探索」と「知の深化」をバランス良く追求する「両利きの経営」
「イノベーションを起こさない会社は死滅します。これは間違いありません」という厳しい言葉から、入山氏は講演を始めました。日本では少子高齢化が進み、企業はますますグローバル市場を狙っていく必要に迫られています。またIT化の加速により業界の垣根が崩れ、今まで想定していなかった異業種企業が次々にライバルとして台頭してくるなど、現代は激しい変化と競争の中にあります。
「そうした中、何もしないで『なんとかなるさ』と言っている企業や業界は、あっという間になくなってしまうでしょう。昨年、アメリカの大手百貨店が倒産したように、そういうことは現実に起きているんです」と、氏は警鐘を鳴らします。
氏は20世紀の経済学者シューペーターの言葉を引きながら、「そもそもイノベーションの本質とは、この世にないものをゼロから生み出すことではなく、既存の知(アイディア)と別の既存の知の、新しい組み合わせから生まれるもの」だと説明します。例えば「現状の事業を、別の顧客層と組み合わせてみる」「従来の素材を、これまでとは違う最終製品と組み合わせてみる」といった新しい組み合わせを試すことに、イノベーションを生む可能性が秘められているのです。
しかし人間の認知には限界があり、目の前にあるもの、今、認知できるものの中で組み合わせを作ろうとする傾向にあります。ですから同じ業界の中で叩き上げられた、同じような人材ばかりが集まった老舗企業においては、目の前の範囲での組み合わせは「やりつくして、もう終わっています。そういうところからは絶対にイノベーションは起こらないのです」と、氏は断言します。
この「やりつくした」状態を脱却するには、なるべく遠く離れたところにある知を数多く、幅広く持ち帰ることが必要となります。入山氏はこれを「知の探索」と呼びます。そして探索してきた知を目の前の知と新たに組み合わせ、上手くいきそうな組み合わせはさらに深掘りして磨きをかける、つまり「知の深化」を進めることで、イノベーションを起こせる可能性が高まると言います。
「『知の探索』と『知の深化』をバランス良く行うことを『両利きの経営』と言い、これはイノベーション研究では常識となっています。ところが企業・組織は本質的に『知の深化』に偏ってしまう傾向があります。『知の探索』は大変なことで、成果が出るまでに時間もかかりますし、失敗もつきものです。加えて企業には予算がありますから、目の前で儲かっている事業ばかりを深掘りしようとしてしまうのです」
「知の深化」に偏っていると短期的な利益は上がっても、経営学で「Competency Trap(競争力の罠)」と呼ばれるものに陥ってしまい、イノベーションは生まれません。
人が「知の探索」を実践するために、RPA、AIは必須のインフラ
入山氏は企業・組織における「知の探索」を4階層に分け、そのうちの「個人レベル」「戦略レベル」「組織レベル」の3階層で留意すべきポイントを説明しました。まず1階層目の「個人レベル」では、スティーブ・ジョブズを例に挙げて、企業・組織は個人の失敗を受け止められる土壌をつくることが大切だと語ります。
「ジョブズは本業から離れた様々なことに興味があって、それらを探索してどんどん製品と組み合わせていきました。足の速いIT業界ですから、組み合わせたらすぐに製品化してローンチしなければならず、その結果、沢山の失敗作を生み出しました。ただそうした取り組みが、MacBookやiPhoneという大きな成功につながったのです。経営学的にはリーズナブルと言えます」
どこかに失敗できる余地を残したり、また成功・失敗という紋切り型の評価制度を見直したりすることは、「日本企業には一番難しいことかもしれませんが、ぜひ考えてみていただきたい」と氏は言います。
2階層目、「戦略レベル」で重要とされるのはオープンイノベーションです。異業種企業とのコラボレーションやCVC(Corporate Venture Capital:新興のベンチャー企業に投資すること)で、自社にない知見を得ることが、「知の探索」になります。海外で行われた統計調査では、オープンイノベーションに積極的な企業の方が、事業的なパフォーマンスが高いという分析結果も出ているとのことです。
3階層目、「組織レベル」では人材の多様化がポイントになります。「知の探索」は離れたところにある知同士の組み合わせです。その知を持っているのが人間だと考えれば、企業・組織における人材の多様化(ダイバーシティ)が「知の探索」につながるのは明らかです。しかし企業の担当者にそれが“腹落ち”されておらず、ダイバーシティそのものを自己目的として考えてしまっていることが現状の問題だと、氏は言います。
ここまでをまとめると、「知の探索」には「遠くにある知を探し、新しい組み合わせにチャレンジすること」「失敗を受け止めること」「多様な人材の多様な考えを吸収していくこと」が必要になるわけですが、お気づきの通り、これらはすべて人間でなければできないものばかりです。
一方、ルーティンを無駄なくこなす「知の深化」には、RPAやAIにも代替が可能なことも含まれます。「知の深化」にかけていた負荷を技術で軽減できれば、人間はイノベーションに不可欠な「知の探索」にもっと時間や手間をかけられるようになるのです。だからこそ氏は「RPAやAIは、日本でイノベーションを起こすために不可欠な基本インフラ」だと言います。
正確な予想に頼るより、激しい変化に対応できる“ざっくりした”方向性を
「知の探索」に加え、もうひとつ重要なこととして、入山氏は「センスメイキング理論」の実践を挙げます。これはカール・ワイクが1995年に提唱したもので、正確性(Accuracy)よりも納得性(Plausibility)が重要であると説いています。
変化の激しい世の中で、将来を“正確に”分析・予測するのは困難です。予測を立てたとしても前提としていた条件はすぐに崩れてしまい、その予測に従って働くことへの納得感は薄れてしまいます。むしろ“ざっくりとした”方向性を決めたら、それを社員や周辺に納得してもらい、その方向性の中で社会や顧客に価値を提供しながら前へ進んでいくことが重要になります。
「ざっくりした方向感に納得できていれば、失敗したとしても、めげずに前へ進んでいけるでしょう――私がお会いした人の中でも、イノベーターだなぁ、世界を変えている人だなぁと思う人たちには共通点があって、それは“腹落ちの達人”であること、つまり自分たちの会社の方向感を、全社に納得させられる人だという点です。皆が納得しているからこそ、従業員一人ひとりがビジョンを持つことができ、それを会社の方向性(長期ビジョン)とマッチングさせていくこともできるのです」
これをさらに分かりやすく説明するために、入山氏は20世紀初め、自動車が普及し始めた頃のことを例にしました。当時、馬車を操っていた馭者は、新たに登場した自動車に仕事を奪われることになりかねませんでしたが、多くの馭者は、馬車を自動車に乗り換えることで対応しました。「自分の仕事は馭者」と考えるのではなく、「自分の仕事は人を運ぶこと」という方向性に納得していれば、社会や技術の変化にも対応できるというわけです。また「はやく運ぶ」ことを求めるならレーサー、「安全に運ぶ」ことを追求するなら整備士など、「運ぶ」という方向性の中にも様々な可能性があることが見えてきます。
「会社の可能性を追い求めるには『知の探索』を行い、方向性を社員に納得させることが重要です。ですから皆様には、まずは自分たちの会社をどういう方向に進めたいのか、ぜひ考えていただきたいと思います。――これから皆さんの会社が新しいことに取り組み、イノベーションを起こされることを祈念しています」
第1章は、入山章栄教授の「テクノロジーで生まれる新しい価値 進むべき3つの道から選べ」を掲載